努力するセンスがなければ報われないという厳しい現実

はい、どうも和歌山フリーワーカーのツジ(@nirlog_net)です。

「努力すれば報われる?」いやいや、そんなことはありえません。

「正しい方向に向かった努力」は報われるんですよ。間違った方向に向かっていたら報われるはずがないです。

英語を覚えたいのに、フランス語の勉強するようなものですよね。

この努力する正しい方向を見極めるにはセンスがいりますよ。このセンスがなければ結局努力は報われないんですよね。

努力が報われる人って

努力が報われる人って結局「たまたま報われただけ」じゃないんですかね。

何か事を成すには「努力」って必要不可欠です。でもいくら努力したところで結果が出ない人なんていくらでもいるんですよ。ドラマやマンガの世界ではないですから。

努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない。

有名な王貞治氏の名言です。確かにわかりますよ。だけど「報われないまま死んじゃう」なんてこともあると思うんですよね。

王貞治氏の名言の考えで表現するなら「努力していないうちに人生が終わっちゃた。」ってことです。

「なんとかしたい!」ともがいていても「結果がでていなかったら」努力をしていないということだ!。お前は努力が足らんのだよ!という成功者の結果論なんですよ。

なんだかなぁってなっちゃいます。「報われない努力が大半だよ!」のほうが好きですね。

努力するセンスがいるよね

努力が報われるって「正しい方向に向かって行動した」、あるいは「努力したと思っていないけどできてた」ということじゃないですかね。

両者に共通して言えるのは努力のセンスがあったってことです。

  • 正しい方向に向かって行動するセンス
  • 愛を注げるものを見つけるセンス

この2つが努力するセンスです。

センスは与えられるもの

センスって与えられるものです。平等じゃないんですよ。

うまくいっている人って本能的に正しい道を選択し、努力ができるんですよね。

アスリートやアーティストの「有名人」は正しい道を選ぶセンスが抜群なんですよ。だから「有名人」なんですよ。これも結果論です。

どこを鍛えるべきが、どのタイミングで攻めるべきか、何を学ぶべきか。

これらを選択するセンスが抜群で、生まれ持った肉体レベルと合わさり努力するから「努力が報われる」のです。

愛がある=センスということ

気づいたらできてたパターンの人は、そもそも「愛がある=センスがある」ということだから。

努力を努力と思わず「愛があるから」行動して実現させてしまいます。

「なんでそんなことまでできるの?」って人いませんか?

アイドルの握手券欲しさにCDを何枚も購入し、日本のどこであろうと会いに行く。

興味のない人が同じことをしようと思えば「努力」が必要なことです。でも愛があればできちゃうんですよね。

つまり愛があるってだけで「努力するセンス」があるんですよ。

センスは天性的なもの

センスって結局「遺伝」と「環境」と「運」に左右されているのではないのかなってのが私の考えです。

努力が報われない人っていますよ。努力が報われる人はセンスがある人です。

努力は必ず報われる。
もし報われない努力があるのなら、それはまだ努力とは呼べない。

ごめんなさい。偉大な言葉ですが私には刺さらないですね。

生まれ持ってしてアスリート向きの筋肉を持っている人もいれば、アーティスティックな感性を持っている人もいるでしょう。

「環境」によりこれらが磨かれていくこともあれば「運」よく愛を注ぐことができる事柄に出会う人もいるでしょう。

「なにかを成し遂げる人」ってこういうことだと思うんですよね。

夢は見ない、身のほどを知る

努力するセンスがない人は下手に「夢」をみないほうがいいです。

「努力すれば報われる」なんて言葉に踊らされてはダメですね。危険ですよ。堅実にコツコツと。これが一番です。

無敵モードの時は「なんでもできる!」なんて思いますけどね。後々自分の愚かさを知ることになります。

あ、「努力するセンスがない人がダメ」ってことではないですよ。努力する道を見極めるセンスなんて、ほとんどの人が持っていないセンスですから。

努力するセンスがないなりに、身のほどをわきまえて「自分のできる範囲」で生きていく。

たまたま愛を注げるものを見つけたらラッキーです。

それくらいでいいんじゃないですかね。

おわり。

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