最低賃金1500円なら夢がある?いやいや、ないでしょって感じた話

「最低賃金時給1500円なら夢がある」なんてデモがありましたねー。時給1500円で夢って・・・ねぇ(笑)。お金ありきで夢を語るのもどうかと思うんですよね。

そらお金があれば好きな物が買えるし、生活が楽になるかもしれない。しかしそこに夢があるのか?それでいいのか?って思っちゃいますね。

夢(リアリティー)をお金で買おうとする人たち

最初に書いておきます。以前の記事でも書いたことがありますが、私に夢はありません。夢ってなんだろう?って思っています。あえて夢という言葉を使うなら「良い死に方をしたい」というのが夢です。

まぁそこは人それぞれですからね。別にいいんです。でもこれを読んで疑問に思いましたね。

「最低賃金、時給1500円なら夢ある」若者らデモ

若者たちは「1500円は『健康で文化的な最低限度の生活』に必要な最低限の金額です」「1000円じゃなくて1500円と言うのは、ちょっと夢があるから。夢があるというのは(生活の)リアリティーがあるということ」と訴えた。

1000円では夢(リアリティー)がなくて1500円で夢(リアリティー)があるのか(笑)。この500円の差で「健康で文化的な最低限度の生活」が生まれるなんて考えていたら、1500円でも健康で文化的な最低限度の生活はないなと。ただのないものねだりにしか聞こえないんですよねー。

夢(リアリティー)をお金で解決しようとする残念な考え方です。健康で文化的な最低限度の生活は別にお金がなくてもできますよ。

お金に縛られないこと

もう一つ書いておくと私はお金が好きです。お金無しでも生きていけるなんてことは言いません。しかし、お金に縛られて生きていくくらいなら、お金を手放します。

お金なんてただの交換ツールです。労働が作り出す、消費と贅沢をするための紙なんですよ。お金に縛られているから、健康で文化的な最低限度の生活費用を1500円と設定しているんです。

もし最低賃金が1500円になるのなら私は喜んで労働時間を削りますね。なぜなら健康で文化的な最低限度の生活は24万円もかからないから。そしてお金より時間が欲しいから。もしこんなことが現実になるなら私にとってありがたい話ですよ。

でもお金に縛られている人たちが最低賃金1500円になったところで生活が変わるとは思いませんねー。しかも賃金が上がればそれだけ人を雇うことができなくなる。能力のなきものに働き口は今まで以上になくなるんです。自分たちの手で首をしめるようなものです。

お金=生きることなのか

お金=生きることではないんですよね。健康で文化的な最低限度の生活を目指すなら、お金よりも健全な雇用や食(職)を作ることです。お金は最低限でいいんですよ。そして経済の発展なんて後回しでいいんです。←そんなことは言っていないけど。

人が人として生涯生きていく環境を作ること。これが健康で文化的な最低限度の生活であり、彼らの言う夢(リアリティ)だと思うんですけどね。

健全な雇用があれば賃金が安かろうといいんです。心と身体の健康、コンプライアンスの遵守などが大切にされ、生きる、生かされるための関係が結ばれる雇用が多く必要なんですよ。あ、ブラック企業さっさと潰れろってことです。

そして何よりも食(職)を確保すること。食(職)を作ることさえできれば生きていけるんですよ。その環境を整えることのほうが重要で先決ではないでしょうか。お金で解決しようとするから継続できないんですよ。

それこそお金の価値がなくなったらどうするんでしょう。目も当てられませんよ。今のご時世あり得るんじゃないですか?

まとめ

もともと私たちは農耕民族です。食(職)づくりのプロだったはずなんですよ。にもかかわらずお金を賢く使わなかったがゆえにこんなことになってしまったのではないでしょうか。

「お金がなければ生きていけない」という考えを見直し、「生きていくためにはどうすればいいか?」へとシフトするべきなんじゃないですかね。原点に返ることが未来へつながると考えています。

つらつらと書いてしまいましたが、行動する彼らは素晴らしいと思っていますよ。なんせ私はここでしか発言していないですからね。そして、でっかい虫が苦手なのに食を作るって言っていますからね(笑)。

まぁ戯言としてそっとしておいてください。

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